講師は、ゲーム少年 → プログラマー → プロダクト・プランナー(商品企画者)という経歴を辿っています。このように様々な経験をしているため、プログラミングだけでなく、会社で役立つビジネススキルも教えます。

年齢 内容 取得技能
中学生

元はゲーム少年

ゲームがしたくて、貯金でポケコン(プログラミングできる電卓)を購入して雑誌「マイコンBASICマガジン」に掲載されているゲームのプログラムを訳も分からずひたすら打ち込む。徐々にゲームの改造をするようになり、BASIC言語でプログラミングを独学で学ぶ。

BASIC言語

高校生

ソフト開発者となって食っていくことを決意

更にプログラミングに励む。プログラミング言語はBASICだけでなくマシン語にも手を出す。
この時「ソフト開発者が将来100万人不足する」と世間では言われており、好きな事と世の中の需要が両立することから将来はソフト開発の仕事に就くことを決める。

マシン語(Z80系)
大学

ソフト開発の勉強と実務に勤しむ

国立電気通信大学情報工学科に入学し、主にソフトウェアについて学ぶ。アルバイトでプログラマーとしても働き、開発に参加したソフトが市販される。しかし23時に電話で「今から会議するから出社して」と呼び出される生活を送ったため、「就職先はよくよく考えよう」と学ぶ。

Pascal、C言語、C++、Lispなど
22歳~

初めて市販ソフトを開発

Panasonicのソフトウェア開発子会社に就職し、パソコンの市販ソフト「WAVE DESIGNER PRO」を開発する。

その後社内のネットワークやサーバーの管理者となる。

GAIN
24歳~

市販ソフトの企画・開発を求め転職

セイコーエプソン株式会社に転職し、子会社のエー・アイ・ソフト株式会社にて主にパソコンの市販ソフト「EasyFax」「ウェブワッカー」「BB de!! スマートモバイル」などの企画・開発に従事する。

Visual C++

32歳~

世界中でヒットする製品の企画をするため、企画職へ異動

エー・アイ・ソフト社がセイコーエプソンに吸収合併されるため自ら希望し、セイコーエプソンのプロジェクター部門の企画職に異動する。

主に学校向けのプロジェクターの商品企画を担当し、特に「電子黒板機能付き超短焦点プロジェクター」の企画では世界初の機能を多数搭載し、以降競合会社が真似をするようになる。これは日本だけでなくアメリカやイギリスの学校現場も数多く視察していたため、教師の潜在ニーズを掴んでいたことが大きい。世界の市場シェアも当初の0%から最大で90%まで達し、世界的大ヒットとなった。

マーケティング、問題解決スキル、世界の教育事情、英語
45歳~

今度は教育へ

世界の教育現場を見ることで、日本の今後に強い危機感を覚える。元プログラマーとしてのプログラミング知識と、企画者として培った問題解決スキルに関連性があることに改めて気付き、子供達に「プログラミング能力+問題解決能力」を教えたいと考える。

そこでセイコーエプソンを退社し、新たに「プログラミング教室 考研会」を開校する。